新年明けましておめでとうございます。
昨年同様、本年も宜しくお願い致します。
支部開設、5年目。
新たな指導員も出来て、仲間も大勢増え、初期のメンバーが高校生、大学生。
全く、頼もしい限りです。
空手は長くやれるものです。空手を通じて人として友として、長く付き合える事は本当に幸せな事だと思ってます。
早いもので、僕が空手を始めたのは10歳の頃ですから、早、40年近くになります。
その間、怠けたり、離れたりもありましたが、結局、何だかんだ続けて来られました。
最近、うちの道場では稽古中に防寒対策をするように指示をしました。
寒ければジャンパー着て、動けと。
これには、正直、自分の中でも葛藤はありました。
自分の中の空手の常識としては、冬場震えながら稽古をするのが当たり前だし、夏場倒れそうになりながら汗をかくのが当たり前だと思ってますから。
何かを得るためには何かを犠牲にする。
それが、一つの手法だと思うし、否定は、しません。
ただ、町道場という場所は殆どの人が初めて空手と出会う場所です。
長い人生の中での、ほんの入口に過ぎません。
そのスタート地点で、プロとして躓かせる訳にはいかない。
寒い中、唇を震わせて稽古に励むのも大事だし、意味がある事だとは思います。
ただ、町道場というスタート地点で、些細な事で辞める事になるのであれば、つまるところ、寒いことを我慢する事に全く意味はありません。
何となくでも続ける事と、何だかんだで辞める事には、雲泥の差があります。
ある一定の年齢になると、勉強も仕事もそうだと思いますが、継続するという事には非常な困難を伴うし、困難を乗り越え、何かを犠牲にしてでも続ける事によって、貰らされる結果がある事も理解している。
ただ、子供達は経験則で、それが理解出来ない。
だから、武道だから、習い事だからと、大人にしか通用しない理屈で、半強制的に、意に沿わぬ形で続けさせる事が、結果的に、継続を妨げる事になりやすい…。
空手は非常に難しいです。
大先生と呼ばれる方々に幾度と無くお会いして道を教授頂き、酒を酌み交わす度に自分の未熟さを露呈してしまい、憂う事もしばしば。
僕自信、未だに出来ない事だらけの凡人であります。
だからこそ、自分自信が空手を嫌いにならないように、上手く付き合う工夫をしていく必要がある。
逆に言うとそうならない工夫をしてきたから、まがりなりにも継続出来てる。
それが、僕なりの道だと思っています。
だから、子供達だって、寒いと思ったら着れば良いし、暑くなれば脱げばよい。
全ては続ける為に。
道場訓に、「努力の精神を養うこと。」というのがあります。
なぜ、単純に「努力をする事。」では、ダメなのか。
なぜ、努力の『精神を養うこと。』なのか。
努力をするというのは、言うは易し。
でも、口で言うほど簡単なもんじゃないよ。
一度口にしたものは、石にかじりついてでも、続けると決心しなさい。と。
そう、先達は説く。
その精神を養いなさいと。
ただ、せっかく心に決めて、いざ、実行しようとしても、当然、予定だの計画通りに行く筈がない。
でも、心に決めた以上は、予定も計画も立てずにはいられない。
繰り返される修正、挫折と自己嫌悪。
以下、繰り返し。
では、遅れながらも、時に道を外れながらも、継続するには、どうしたら良いか。
その過程に於いて、続けられるように工夫を凝らし、時には休み、環境を整え、あくまで自分のペースで楽しくやった上で、ほんの少しづつ、無理せず、積み上げる。
当たり前っちゃ当たり前の事なんですけどね。
これこそが、努力の『精神』を養うこと。なんだと。
『継続することは大事だけど、本当に大事なのは継続出来る方法でやること。』
これが、僕なりの『努力の精神を養うこと』の解釈です。
その上で、結果を出す楽しさ。
出来なかった事が出来るようになる達成感。
それが、いつの間にか評価になり、自己肯定出来るようになる充実感。
ひょっとしたら、そうやって継続出来た「何か」が、人生に彩りを添え、賑やかな物にしてくれるのかもしれませんよと。
そう、偉大な先達は教えてくれてるのではないかなと。
今年も一年、楽しくお洒落にやりましょう。
OSS!
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