反省、反省。

反省しきり。


ここに来て、会員に休部が頻発するという前代未聞の事態が起きてしまった。


通学の都合だの、部活だの、新環境に応じて色々と理由はあるけれど、要は、空手に対して、無理を押してまで続けたいと思えるだけの情熱が無くなったと言うことだと思ってる。


空手の指導者としては反省しきり…。


もう少し、長く続けることの大切さや、面白さ。

何となくでも、続けてやっている物が有るという素晴らしさ。

そういう事を伝えて上げられなかった自分の力量の未熟さに、妙な苛立ちを覚える。


今年は松濤館流開祖船越義珍翁生誕150周年。

記念大会である今年の全国大会も大いに盛り上がったのだが、翁の遺訓に以下のような物がある。


『空手は湯の如し、絶えず熱を与えねば元の水に還る』


空手だけではなく、何かに熟達するには同じ様な気持ちが大事だろう。


宮本武蔵の五輪書にも同じくある。


『今日は昨日の己に克ち、明日は下手に勝ち、何れは上手に勝つ』


過去の偉人たちが背中を打つ。



部活があるから、通学に時間を取られるから、勉強や塾があるから…。


『何々だから、何々ではない。』

『何々でないから、何々できない。』


小さいから、太ってるから、非力だから、女性だから…etc


大きい人に勝てないのは小さいからではない。

太っているから痩せている人に勝てないのではない。

逆に言えば、大きかったら勝ててるに違いない、痩せてたら勝てるに決まってるという、可能性の中で生きると決めてしまって、その言い訳として、小さい、太ってるを利用しているに過ぎないという事を自覚しなさい。

と、武道の先人は教える。。


非力で未熟な自分を自覚し受け入れる。

そこで武道の入口がある。

厳しい、厳しすぎるぞ武道空手。


ただ、優しい先人はこうも教える。


ポジティブシンキングは、禁止だけと見方を変えるのは大事であると。


前向きはダメだけど、目線を変えるのは良い。


例えば太っているを例に取ると貫禄があるって考えるのはポジティブだからこれはダメ。

ではなく、例えば、当たりが強い。これはありですよと。

補足すると、貫禄をつけるのに努力は要さない。というか、そのままで上司に対してのおべっかになる。

他方、当たりの強さを作るには、相当稽古しないと難しい。

単に体当りが強いと定義したって、相撲の立ち会いを想像して貰えば解ると思うけど、素人が簡単に出来ようはずもないのは明らかだ。

つまり、自分の欠点は欠点としてみて、さらに、それを有利にすべく、その第一歩として見方を変えてみなさいと教える。


少し脱線した。  もどそう。


とかく、自分も言い訳は、得意だ。

まして、成熟さとは、ほど遠い場所にいる。未熟も未熟、何とかしたいと思うことばかりで少しも前には進めてない。未熟者である。


だか、未熟な自分を自覚しているからこそ、言える何かもあると思ってる。

何も、子供達まで、自分の様な未熟さを後生大事に良い歳してまでも露呈し続ける必要はないし、私より一歩でも二歩でも前に抜きん出て欲しいし、私がし続けている様な失敗はしてほしくない。


一方、その未熟さ故に、目を背ける事や逃げる事に大いに耐性がつき、時に大事な局面で、それらを上手く使い分け、どうにかこうにか乗りきれる事も多い。これも事実だ。


本当に難しい時代になったと思う。

平穏無事に暮らしたいと思っていても、簡単には行かない。

これからの子達は、なおさらだろう。


その道標として、空手道が一助になって欲しいと切に願うが、やっぱり、こうやって途中で辞めてしまう子がでる。

まぁ、有り体に言ってしまえば半分は僕のせいだ。本当にすまないと感じる。


旅立つ子達に手向けの言葉を送ってやりたいが、まずは、原因があって結果があるって考え方を止めて、目的から理由を探す思考に変えて欲しいと思う。

自分の弱さや未熟さを、前向きに捉え直すのではなく、正面から受け入れて、目線や角度を変えて見つめ直してみる、その上で、自分がどうしたいか、どうするべきかを考える習慣をつけて欲しいって思う。



ここからが本文、

私も反省してじっくり考えたいと思う。