自分ごときが偉そうに言うのもなんなんですけど、自由組手を稽古するにあたって、上手く行かない子達には総じて二通りあります。
一つは、自由組手の『自由!フリーダム!!』の部分に振り回されすぎて、見たまま、聞いたまま、あれもやりたいこれもやりたいって自由にぶん殴り蹴りまくる子。
もう一つは自由組手の『自由??いきなり自由って言われても何をやって良いか解らないよぉ!!』と、いきなり絶対絶命都市に放り込まれかの如くパニックに陥り、間合いもへったくりもなく恐怖にかられてぶん殴り蹴りまくる子。
どちらも、我が身を振り替えってみれば、俺の通ってきた道じゃと、
良くわかるんですけど、今一つ、これを解消できる芯を食った答えを導き切れていないような気がします。
昔から、『基本がうまい人は組み手も上手い』って言われますよね。
空手だけではなく、前にも書きましたけど基本の落とし込みって、やっぱり大事で、勉強でも仕事でも全てに通じる真理の1つだと思います。
空手で言っても、当然、基本と組手の間に因果関係があるんでしょうけど、『なぜ、基本をやってると組手が強くなるのか?』については、武道的に説明をしないというか、そんなの自分で考えろっ!甘えるなっ!わからなければ解るまで基本をやれ!と、取りつく島もありません。
確かに突き放した指導法は、武道には必要だろうし、結局のところそーやって自分に落とし込んだものだけしか使えないというのもあるんですけど
『組手が強いやつは基本も上手いんだぞ!』
ってただ言ってるだけじゃ、子供達が血相変えて鼻血を流しながらポカスカ殴り合うのを止めることはできません。
『基本が上手い人は組手も強い。と、組手(道場組手・地稽古)が強い人は基本も上手いは、まったく違う。』
基本が上手い人が組手も上手いわけじゃないってのは良くある話なんですけど、地稽古とか道場組手って言われるものが強い人は総じて基本をやらせても力強くて切れがある方が多いです。
先生方が基本と組手の因果関係について話すときに、頭に描いてるのは、後者の、地力(道場組手)があるやつは基本がしっかり出来てるって事なんだと思いますが、言われている生徒達は、たぶん前者を想像してるんじゃないかと。
ここに自由組手を複雑にさせてる原因がありそうだとちょっと思ってます。
組手を学ぶには、古くからある稽古法に約束組手ってものがあり、五本組手、基本一本組手、自由一本組手って決められた制約の中で行う対人稽古法があるんですけど、これは、あくまで基本の応用とでも言うべきもので、実際、茶帯や黒帯になりたての人が、この流れで自由組手を始めても、まんま約束組手で稽古した技が使えるはずもなく。
ひいては、量産型、『基本や型はそれなりに上手いけど自由組手は上手くない人』の誕生なわけです。
まっ、上級者になってから約束組手をやると、意味合いが変わって基本の応用から、動きを止めた相手に対して拳先、足先を全力で飛ばして良い『当たり稽古』にクラスアップするんで、受ける側は全力の拳を身動ぎせず待たねばならないっていう、渾身の恐怖を体感出来るという素晴らしい稽古に変容するんですけどね。
話を戻すと、指導者達は、この約束組手と自由組手の間に拡がる深くて広い溝を、どうしたら自由組手って形に近づける為に埋めるのかって苦心して、研究して、稽古するわけです。
それが、最近だと連盟の皆がやってるような、ラダートレーニングだったり、お母さん方が自宅でフィットネス兼ねてやるビリーザブートキャンプ(古い)だったり、教本ビデオに出てくるカニ組手とかいうちょっとネーミングからしてどーなのよ。とか思うような稽古になるんだと理解してます。
前置きが長くなりましたが、本題です。(笑)
まず、自由組手って形にするには二通り稽古しなきゃあなりません。
この2つが出来ないと間違いなく組手にはならず、逆にこれが解らないもの同士で組手をさせると、前述通り、あんにゃろこんにゃろっていう壮絶な殴り合いが見られる事になります。
当然、こういうのも必要ですし、大学生位の若い兄ちゃん達のアンニャロコンニャロを端から見てると、おーおー若いのが、やっとるやっとる、なーんて、おじさん達はご満悦だったりするんですけど、やってる方は堪らない訳で、そうならない為にも色々考えてみました。
①自由組手らしい動きを作る。
②攻防を繰り返しながら自分の技を使えるようにする。
そんなん、当たり前でしょって思うでしょ。
そう。当たり前なんですよ。 でも、当たり前の事ほどおざなりになっちゃうもんなんです。
令和になるってこの時代に、何を言ってるのかと思われるかた。
我慢してお付き合いください。(笑)
前述した通り組手も強いが基本も上手いって人は、この稽古を平行して絶対にやってます。
要約すると『上手な基本を自由組手で生かす稽古をやってるかどうか。』
段階を踏んだ約束組手だけではなく、これをやらなければ組手にはなりません。(確信)
一般的な道場の稽古って、うちもまぁ似たり寄ったりなんですけど、まず準備体操やって、基本稽古やって型やって。
終盤になると、よーし、みんな拳サポーターつけてーっ組手やるよーってなりますよね。
そうすると、突然それまでの動きとは全く関係ない突然違う何かが始まる・・・。
やってる方もなんとなく釈然とはしないものの、まっ基本は大事よねと、一種の通過儀礼のように捉えて適当に漫然とやってしまう。
まぁ、とかく若くて血気盛んな頃なんかは地味で辛いだけの基本や型稽古より、はるかに意義も見つけやすいですからね。
ヨッシャーとばかりにピョンピョン跳ねてはしゃいで、相手を置いてちょこちょこ動き回り、裏をかいたりかかれたり、届いたり届かなかったりしてくると、組手、楽しくなりますからね、ただ、ただ辛くて、キツくて、おもんない基本稽古なんて身が入るわけありません。
そうなると、『お前ら基本がたらん!もっと基本やれ!!』と、こわーい先輩や恐ろしい先生達から雷が落ちてくるのは皆さんご存知の通りです。
つまり、動きを作ると一口に言っても、単に自由組手の動きの作り方だけをやっちゃうと取り返しのつかない事にもなりかねないって事です。
特に最近の子、器用なんで、前述の通り、好き勝手やらせておけば、あっちゅーまに組手は上手くなるんですけど、基本や型に明確な意義を見つけられないから、退屈で辛い基本や型が伸びなくなる。
そうならない様に、基本の邪魔をしない自由組手の動きを作ってあげる自由組手の稽古が必要で、漫然と通過儀礼の様にやっちゃう基本や型の稽古に組手につながる意義を見付けてあげる必要がある!
こんな話を少し続けたいとおもいますが、長くなりそうなので、また次回。
追伸、稽古みんな、素晴らしくよく頑張ってるね。
『よくやってるな!!誉めてやるっ!!!ポカッ!』