県大会が中止になりました。
恐らく、小中全国、世界大会も中止になるのではないかと。一年間、血と汗を流しながらも厳しい稽古に耐えてきた子供達には、仕方がないとはいえ、本当に申し訳ないと思います。
肥大化した空気という化け物について。
今回、感じた事です。あくまで私見です。
この国で一番恐ろしいのはコロナという感染症ではなく、右から左へと瞬間的に風向きを変える巨大な民意という空気だ。
前にも書いたが、日頃から日本人は空気を読むのが非常に得意である。
勿論、空気を読むの事は、都合の良いことも多いけれど、よっぽと注意しておかないと、この民意とか世論などというものは、一度巻かれたら、どんな人でも抜け出すのは非常に困難だし、空気を読まずに行動したり、発言するのには余程の勇気がいる。
実際、僕のこの持論に対して、不快感を覚える方もいらっしゃると思う。
それでも言わずにはいられない事態だとご理解頂けると幸いである。
この空気というやつ。普段はあまり感じないのだけれども、時には戦争を呼び、国をも傾けるし、近場では町からマスクが消え、自宅のトイレからは紙が無くなり、学校や職場では、しばしば苛めやパワハラに発展したりもする。
原因ではなく目的が何かを考えるべきだと言ったのはアドラーだが、オリンピックに関係ない、他の地域文化イベントや、小規模競技スポーツ大会まで、延期させるっていう理由は、突き詰めてしまえば、この国に蔓延している民意という空気に配慮してという事に他ならない。
専門家会議は、半年以上に渡る長く苦しい戦いになるから、経済・文化とは上手く折り合いをつけろと言っていた。
前項にも書いたが、COVID19は、新種なので、当たり前だが厳密な意味での専門家は存在しない。
それでもその専門家が、最大公約数の範囲で解らないことは多いけど、恐れすぎずに防疫対策を取りながら上手くやってください。という声明をだした。
でも、全部まとめて、一斉に中止になった。
なるかもしれない、なったらどうするだけで、さしたる根拠もないままに全部、中止。
何故だろうか??
それが民意だから正しいのか??
それが民意だから従わなければならないのか???
それが民意だったら何をしても良いのか??????
1日3000人の方が亡くなられるけど、逐一、マスコミは報道しないし、どれだけ不幸な亡くなり方をしていても、知ったことではない。関係ない。
コロナウィルスだけ報道する。それが民意だから。
コロナウィルスどころか、日々の暮らしに困窮していて、今日を生き抜くのに精一杯な人は、コロナ感染者より遥かに多いけど、そんなことも知ったこっちゃない。それが民意だから。
1日に死亡事故は何十、何百ってあるけど車には乗るなって絶対に言わない、それが民意だから。
僕の同期の、ほんっと気持ちの良い男が癌がリンパに転移して再発した。でも、コロナじゃないから同情も必要じゃないですよね。それが民意だから。
コロナがあるから中止なんじゃない。
中止にすることでこの国の肥大化した民意という空気に迎合するのが目的なんだと思う。
当然ながら、社会人として、一人の大人としての常識的な範囲での防疫対策や、感染症予防には大賛成だし、率先して協力もする。
でも、少なくとも根拠なき中止やマスコミの報道姿勢に関しては個人の戯言だが、そういう部分が絶対にある。と、僕は理解している。
日露戦争後に小村寿太郎がポーツマス会議でロシアから賠償金を取れなかったといって日比谷公園で焼き討ちがおこり、マスコミはこぞって政府の弱腰を糾弾し、第一次世界大戦後に結ばれたワシントン軍縮条約では、軍艦の保有数を制限されたことを国民は怒り、マスコミはそれに迎合し、火に油を注ぐ。
その結果手のつけられほど肥大化した民意は、軍属民間併せて500万もの命を失わせることになる。
どっかのイベントで、その中の誰かが感染したら民意とやらを背景に叩くのだろう。感染経路はイベントと無関係かもしれないけど、知ったこっちゃない。それが民意だから。
まるで薄汚い野良犬が川に溺れてたら寄ってたかって棒切れで叩くのを見るような醜悪な物を見せられている気がする。
対策することと、民意に迎合するのは、全く違う。
空手が出来ないと余計なことばかり考えてしまう。