腹の話

古来より我が国には、『肚』という概念、あるいは文化が伝わっていました。


腹を括る。


腹を割って話す。


腹に据えかねる。


いくら頭で考えたところで、人というのは考えたとおりには動けないものです。

仮に考えたとおりに動けたとしても、自らよりも知能や思考力の勝る相手には、どう足掻いても後れを取ってしまう。


考えれば考えるほど、新たな迷いや悩みが生じたり、自縄自縛に囚われてしまうようなことも、得てしてめずらしくはないでしょう。


また考えるためには、思考材料が必要となります。

昔日の人々は、現在よりも知識や情報を得られる機会も少なかったはずです。

頭ばかりを使って思考するという習慣も、おそらく庶民のあいだには広まっていなかったことでしょう。


思考の形態も現代人とは大きく異なっていたであろうことが、当時の生活習慣などを見ても伺い知ることができます。


農作業や山仕事や狩猟採集、天然の砥石で研ぎ直せる和綱の刃物、着物と履物と畳の暮らし、海の幸や山の幸といった素材を活かした簡素な食事。


あるものを活かす。無駄を増やさない。自然と調和する。

日本の生活様式や文化に宿る独特のわびさびも、そういった思想から生みだされている領域が、おそらくは大部分を占めていたのではないでしょうか。


頭で考えているかぎり、そのようなわびさびの領域は、いつまで経っても見えてこないはずです。


古の日本人は、どのようにして物事を判断したり決断したりしていたのか。

そこにも『肚』の存在がうかがえます。


多くを求めるから、悩みも際限なく生じる。

欲を少なく留め、必要か不必要かを随時応変に判断していく。

そのためには、浮ついた意識があってはなりません。


頭に気血を上らせず、肚に沈めておく。

何事も安易に決めつけず、どっしりと肚を括って取り組む。

肚に飲み込み、肚で考える。


それで動じなくなり、流されなくなる。


知識が得がたい時代には、頭よりも腹で物事を判断する方がよい結果がでる場合があるし、危急存亡にあっては頭で考えずに本能に従うしかないと、庶民でさえもが知っていたのではないでしょうか。


肚を据えると、まぁ、とりあえずは落着きますよね。

物事がはっきりと見え、呼吸も静かに深くなる。

悩むこともなく、力むこともなく、苦しむこともなくなる。

惑いも疑いもなく、ありのままに物事を受け取ることが可能となる。

そのような精神状態を、武芸・武術の修行でやしなう。

これが、平時の際にも大いに役立つわけです。


では、いかにすれば、肚が据わるのか。


禅の世界であれば、まずは自らの心と向きあうことから取りかかることでしょう。

迷いや苦しみがあるのも当然とし、あるがままに弱さや醜さをも受け止める。

そこから手懸かりを見いだし、腑に落ちるようにしていき、肚が据わるという状態へと向かう努力をしてみる。


禅と密接に関連している武道においても、そうした内観は重要なことではあります。

しかし、いざ闘いの場となれば、自らの心と向きあっている猶予すらもなくなる。


常に肚の据わった状態を維持するために、空手道では『肚』そのものを物理的に鍛えていくという行法や練体を採り入れています。


胆力を鍛えるためにも、まずは内臓や深層筋を強くしていく。

特に腸は気血の集まるところなので、効果も甚大であると推測します。


臍下(すいか)丹田。

いかにして下丹田を練っていくか。


肚から声を出す。気合いを入れる。


たとえば相撲では、単にフィジカルの鍛練というだけではなく、丹田も鍛える為に、四股を踏んだり、摺り足をやり込む。

同様に剣道では、木剣の素振りを習慣づける。


足幅広めのヒンズースクワットや、脚上げ腹筋なども、下丹田を養う効果が高い。


ある程度まで『肚』が練れてくると、空手の稽古をしている際に、身体感覚の変化に気づく時期が訪れます。


初期の体感として、もっとも顕著なのが「肚の振動」です。


空手の空突き、空蹴りをしている最中に、下丹田が振るえる様な感覚が急速に実感できるようになるはずです。

これは人体最強の深層筋である大腰筋が目覚めてきた証でもある。

そこまで到るのに、質の高い稽古を行いさえすれば、2年もあれば事足ります。


武術的な動作と、大腰筋が連動するようになると、下丹田への刺激が与えられる状態が続き、肚の発達がよりいっそう促進されることでしょう。


さらに肚が練れてくると、日常生活でもちょっとした変化に気づくはずです。

たとえば、気力が充実し、食欲は旺盛になり、寒さ暑さに強くなり病気をしなくなる。夜は良く眠れ、疲れが残ることが少なくなる。

もちろん、医学的な根拠があるわけではありません。あくまで経験的な観測であるとう補足はつけさせて貰いますが。


また、肚が据わると、外見にも変化が現れます。

表情からは力みが取れ、肩も落ちてくる。

腹腰が充実するので、着物の帯の位置なども安定して、据わりがよくなる。


稽古の際も、動きに重厚さが増していき、予備動作も必要がなくなっていく。


肚で考え、肚で動く。


その原理が身に着くにつれ、ちいさな自我に囚われたり、咄嗟の出来事に右往左往するようなことも、徐々に減っていくのが実感できることでしょう。


先人たちが、武芸・武術という厳しい文化の中で練りあげられた肚だからこそ、たやすく崩れるようなこともない。


肚を重んじるところにこそ、武道の独自性や思想までもが、垣間見えてくるのではないでしょうか。