空手大実験

先日、少し実験をしてみた。

二部の稽古で5人の黒帯小中学生を一列に並ばせ、行列を作らせる。

想定は、繁盛しているラーメン屋さんに順番待ちで軒を連ねているといった状況。

そこに強面の高校生に横入りをさせ、子供達の反応を見るといった内容。

さてさて、どうなるか。

あくまでうちの道場の子達の話しなので分母的に世相をぶった斬るなんて出来ないし平均値が取れている確証はないけど、結果は・・・・。

 

【・・・だれも、何も言わない・・・。】

 

2、3分様子を見ていても・・。

 

【だれも、何も言わない・・・・。 】

 

そうか、いまの時代って横入りして良いんだ!!

(良くない)

 

この結果には少々驚いたものの、何というか想像通りで納得もした。

この5人は全員全国大会に出ている子達。上位の子もいる。

つまり、普通の子供達よりは感覚的にはシッカリしている(と思っている)子供達。

予測では、声を荒げないまでも、せめて一言くらいはあるんじゃないかと思っていたのだが、ただ、ただ戸惑いの表情を見せるだけで一切行動には起こせない。

 

ちなみに別の5人に列を作らせ実験をしても同様の結果。

 

試しに、ママ空さん5人(有段者のお母さん達)に、同様のテストを行ったところ、横入りする強面高校空手部A君を寄って嵩って取り囲み、瞬時に後ろに連れて行ってしまった。

まあ、大人だから僕の意図するところが多少なりとも伝わっており加味されているのだろうが、あまりにもA君が瞬殺されていて笑みがこぼれる。

ありがとうお母さん達。すごいぜお母さん達、あなた方は立派な武道家です。

 

これには二つある。

一つは、最近のお子さん達に感じる「いい子たち」の習性。

二つには、お母さん達の地に足がついた強さ。

 

二つ目は次回に置くとして一つ目について考えたい。

金沢大学の金間先生の名著「先生、どうか皆の前で褒めないで」でも似たような事を仰って言たのだが、なんというか、良い子達ほど集団の中に紛れ込みたいという願望がある様に思える。

人の話は良く聞くし、努力もする、でも例えば発表するなら順番的には3,4番が良いし、出来ればリーダーにはなりたくないし、活気がなく、意見を求めても反応が薄い。

先ほどの実験においても、もし仮に誰かが割り込みに対して文句を言ったとして、おそらく、それに巻き込まれるのは、迷惑だとさえ感じるだろう。

んー、実生活においては言わずもがなと言ったところだろうか。

 

ここでハタと思いつく。

そう、今の日本人ってこういう感じありませんか?

大人にも同じことを感じる事が多い気がしませんか?

 

僕らの若い頃って目立とう精神って言葉がありましたよね、なんでもかんでもわーわー言って、みんなの人気者っていう人、かならず近くに一人いましたよね。

僕はそうでしたw

それがね、ないんですよ。

 

特に最近のお子さん達。

 

なるべく悪目立ちしない、熱く取り組むのはスマートじゃない。

誤解を恐れず、多少乱暴ですけど一言でいうなら

 

【問題解決のために人と対話が出来ない!】

 

こういう事なんでは無いかと・・。

悪い報告はしないし、クレームは匿名で、どうしても連絡が必要ならメールでラインで・・。

これには、おそらくですけど底面に自分との関係性と報酬・利害性でしか人と接する動機がないという意識が密接に関連しているのではないかと。

勿論、プライベートな事なんてメールじゃないと伝え難い事もありますけど、それはそれで置いといての話しです。

 

とにかく、いまの「いい子。」って、周りとは上手くやる・意見は聞くけど自分の意見は言わない・授業や会議では後方で忍者宜しく集団の中で気配を消す・順番を決める時は横並びが基本で3、4番目。

偏見ですけど、こういう良い子って板書はものすごく丁寧にやってる気がします。

 

もー、こういう子が、いま本当に多い。

びっくりするくらい多い。肌感覚で感じます。

 

まあ、だからこそ空手をやりたい、やらせたいって思うんだろうなと想像するんですけど、こういう大人も増えちゃったなあ。

 

もちろん、細かくみれば、もっと色々あるのでしょうけど、僕の劇場型とでも言うんでしょうか、一部(初級者・中級者)のクラスで稀に感じる空回り感とでもいうんでしょうか、熱意をもって楽しく指導すればするほど感じる手応えのなさというか、かつては鉄板で受けていた内容も、最近では無反応ってなってしまう。

稽古が緩みすぎて、私語は禁止って言うと、今度は意見を求めても無言・・・。

外から見ているお父さん・お母さん達は笑ってくれているのにね・・。

まあ、僕のネタが古くなってるというのはあるにしても、せめて反応はしてほしいと思います。

少し脱線しましたw

 

空手を学んで、これを実生活にどう活かすかは個人次第なんでしょうが、ここを何とかするのが空手の醍醐味というんでしょうか。

その為に訳もなく声を張り上げて、汗びっちょりになりながら、顔を張り飛ばしあうわけですから。

 

これを克服する為に、たまさか試行錯誤しているのですけれども、処方箋としては、先ほど出ていた行動原理において、関係性・報酬、利害性以外の学習の動機付けが必要だとは思います。

たとえば充実性=空手をやることは楽しいことだ。とか実用性=学校や仕事、生活全般に活かす。だの訓練性=知力・体力を鍛える、競争性=プライドや競争心なんかが突破口になるのではないのかと思います。

 

なんか確信に近づいた気がします。

どうでしょうか。

 

これでいい子・いい人は卒業だ!